もう一つの「2011・3・11」

「2011・3・11」今年で「東日本大震災」から2年が経過するが各地で追悼行事が行われているがこの震災の犠牲者のご冥福を祈るとともに現在も避難生活を強いられている皆様にお見舞い申し上げます。
その「2011・3・11」であるが鉄道界では大阪駅富山駅間を結んでいた特急「雷鳥」が廃止された日でもあった。
このダイヤ改正で「485系」の国鉄色の定期の特急列車が消滅した。
雷鳥北陸本線金沢駅富山駅間の電化に合わせて1964年10月1日に登場した。ちょうど「東海道新幹線」と同じ日でもあった。
登場当初は「481系」を使用する予定であったが481系の増備が遅れたため気動車である「キハ82系」で代用し、同年クリスマスから481系による電車特急となった。
1978年から寝台特急電車として使用されていた「581・583系」も雷鳥として使用されたが従来使用している「481・485系」の座席の設備等が乗客に不評であったため1985年3月13日限りで581・583系雷鳥が消滅した。
また、その翌日から食堂車の連結がなくなり、食堂車を和風座席個室グリーン車である「和風車だんらん」が連結された。
1989年3月11日に「スーパー雷鳥」が登場し、先頭車が前面展望となったパノラマグリーン車が誕生し、車両の塗装も改められてこれまでの雷鳥よりもスピードアップした。
その雷鳥であったが転機が訪れることになった。1995年4月20日に「681系」を使用した「サンダーバード」(登場当初はスーパー雷鳥の冠名があった)が登場し、2001年にはその後継である「683系」シリーズが増備されて485系を置き換えていった。
その頃から雷鳥廃止の噂があったが683系の増備の遅れから廃止が見送られた。
ところが大阪〜北陸間で高速バス等の安価な移動手段に客を取られてしまい、最盛期には13両編成を誇っていた雷鳥も6両編成になる日もあってかつてを彷彿させるものではなくなってしまった。
2010年のダイヤ改正では雷鳥が一往復のみとなり翌年には雷鳥が廃止されるとあって国鉄色での定期特急列車として最後の力走を見せていた。
その雷鳥のラストランの日に東日本大震災が発生、各地でさよなら雷鳥のイベントが企画されていたがこの震災の影響でイベントが中止となって雷鳥の最期となってしまった。
雷鳥、登場から最期まで穏便にいかなかったのは仕方がないことであろう。