有馬記念

本日はいよいよ中央競馬のグランプリ第57回有馬記念が「中山競馬場

の芝2500mで行われるのれす♪
有馬記念とは1955年に当時の日本中央競馬会JRA)の理事長であった有馬頼寧中山競馬場の暮れの風物詩が中山大障害だったのに対し、有馬理事長が「東京競馬場には東京優駿日本ダービー)が行われているが中山競馬場にもビッグレースを創設したい!」という思いから出走馬をプロ野球オールスターゲームのようにファン投票で決めるという海外の競馬では類を見ない方式を取り入れた。
また、有馬理事長は「みんなに競馬を楽しんでもらいたい」ことをコンセプトにし、57年前の1955年12月23日に第1回中山グランプリが開催され大盛況のうちに終わった。
しかし、翌年の1月9日に有馬理事長が急逝、有馬理事長のこれまでの功績をたたえ、第2回から発案者の苗字をとって有馬記念(グランプリ)に改称され現在に至っている。
これまで56回開催された有馬記念だが私が印象に残っている有馬記念が三つある。
一つ目は1990年(第35回)の2着馬「メジロライアン

である。優勝馬オグリキャップの引退レースでオグリコールが起こったことで有名であるがメジロライアンを推していた当時の解説者であった大川慶次郎が最後の直線で解説者にも関わらず「ライアン!ライアン!」と絶叫してしまったことでも有名になった。
その後、競馬ファンでもあるタレントの明石家さんま大川慶次郎がフジテレビの番組で「なぜ、ライアン!」と絶叫したのかと大川慶次郎明石家さんまにツッコまれていたのを覚えている。
二つ目は1991年(第36回)の優勝馬ダイユウサク

である。メジロマックイーンが圧倒的な一番人気だったがなんと14番人気であったダイユウサクコースレコードで優勝し、実況アナウンサーが「あっと驚くダイユウサク」と絶叫していた。
このレースでメジロマックイーンを推していた明石家さんまが「森田一義アワー 笑っていいとも!」のトークコーナーや他の番組等でダイユウサクが勝利したことを悔やんでいたことも覚えている。
三つ目は2005年(第50回)の2着馬「ディープインパクト

である。この年の皐月賞東京優駿日本ダービー)、菊花賞を勝利し無敗の三冠馬となり、有馬記念も圧倒的な単勝支持率となっていた。
しかし、ディープインパクトは優勝馬ハーツクライにわずか及ばず敗れてしまった。
私はちょうど旅行の帰りで豊橋駅で先輩にレース結果を電話で聞いたら「ハーツクライが勝ってディープインパクトは2着だったよ」と話していた。
私と先輩の馬券は馬番連勝で見事に的中したがディープインパクトが敗れたため、豊橋駅から乗車した東海道線の車内で私はうなだれてしまい、しばらく口を閉ざしてしまったことが思い出に残っている。
第57回有馬記念ゴールドシップが優勝!本当におめでとうなのれす♪
ゴールドシップ、恐るべし…。