高見盛引退…。

平成25年大相撲初場所(東京・両国国技館)が27日に千秋楽を迎え、横綱日馬富士(はるまふじ)が全勝で幕内最高優勝を飾ったがこの初場所で元小結の「高見盛精彦」(たかみさかりせいけん)が現役引退を発表した。
平成18年にアマチュア相撲で横綱となり、翌年の春場所(大阪・大阪城ホール)で幕下付出し(60枚目)で初土俵を踏んだ。
立ち会い前の「気合い入れ」のパフォーマンスから「角界ロボコップ」と呼ばれ注目されて、日本テレビ系列の「スポーツマンえらい人グランプリ」で紹介され、たちまち人気者となった。
このパフォーマンスは普段の高見盛は気が弱くシャイなため、土俵上で己を奮い立たせるために気合い入れをしていたという。
東関部屋に所属しており、当時の師匠が外国人力士のパイオニア高見山大五郎」(定年後は潮丸が親方となった)の指導を受け幕内最高優勝の夢は叶わなかったが三賞を5回受賞、金星が2つ(武蔵丸朝青龍が各1つずつ)を記録し、小結まで昇進を果たした。
しかし、生命線である右腕を怪我してしまったのと寄る歳波には勝てず、十両に陥落して活躍していたがこの初場所限りの引退説までささやかれていた。
普通の力士なら場所途中で引退するケースが多いが高見盛は幕下への陥落が決定的(3勝9敗の地点で)となっても「千秋楽まで相撲を取らせてください」と懇願、千秋楽までがんばっていた。
最後は「肩すかし」で勝利をおさめたものの現役を引退、年寄(親方)振分(ふりわけ)を襲名した。
千秋楽後、都内のホテルで引退会見を開き、正式に引退発表をした。
高見盛は現役の頃に食品メーカー「永谷園」の前社長が大ファンで高見盛をCMキャラクターに起用し、懸賞幕がどの力士よりも多く出された。
前社長は他界してしまったが現在の社長に「これからも高見盛を応援してあげて」と言葉を残している。
永谷園の他にもスポンサーがついたが野球賭博八百長問題等で大相撲人気が大きく下落したが高見盛の人気は衰えなかった。
普通は三役以上でないとグッズを作ることが出来ないがあまりの高見盛の人気に三役に満たない力士のグッズが作られた。これは若花田・貴花田兄弟(のちの若乃花貴乃花兄弟)以来、非常に珍しいケースとなった。
私とほぼ同世代の高見盛、本当にお疲れ様でした。そして、感動をありがとう!