あれから8年…。

今から8年前の「2005・2・28」に二つの「ブルートレイン」の運転が終了した。
一つは東京駅〜長崎駅間を結んでいた「さくら」であるが2011年3月12日に「九州新幹線」で山陽新幹線直通列車として新大阪駅博多駅鹿児島中央駅間を結ぶ列車として復活を遂げた。
もう一つは東京駅〜下関駅間を結んでいた「あさかぜ」であるが本日はこのあさかぜについて語るのれす♪
あさかぜはブルートレインの花形として1958年10月1日に「20系客車」を使用して東京駅〜博多駅間でデビューした。
これまでの客車とは違い青の車体にクリーム色の帯を三本配したデザインとなっており、これがブルートレインの元祖とされている。
20系客車の内装の素晴らしさから「走るホテル」と呼ばれており、あさかぜの食堂車のスタッフが「都ホテル」が務めていた。
あさかぜの編成はA寝台車が多く、ビジネス客を主なターゲットとしたため「殿様あさかぜ」とも呼ばれていた。
長らくブルートレインの看板列車として1970年代の「ブルトレブーム」を牽引した。
20系客車が陳腐化に伴い「24系客車」(25形)となり運転(二往復あって一往復が博多駅、もう一往復は下関駅まで)されていた。
1987年4月1日に国鉄がJRへと分割民営化されたため博多行きの列車は「JR東日本」が下関雪の列車は「JR西日本」に移管されていった。
使用していた24系客車がかなり老朽化したため、車内のリニューアルを施したが1992年に新幹線「のぞみ」が博多駅まで運転されるようになってから寝台料金の高さとスピードが遅かったため1993年のダイヤ改正で博多行きのあさかぜが廃止された。これでJR東日本の列車が九州に行かなくなった。
あさかぜは下関行きの列車のみが運転されるようになったが車両の老朽化と乗車率の低迷、飛行機で安価に移動出来るようになり2005年のダイヤ改正によって廃止されることが決まった。
私はこのあさかぜの最終列車を見送りに東京駅まで行ったがたくさんの人々がいて大変だったがマナーを守らないDQNはいなかったのが安心した。(写真は数か月前から撮影していたので当日はカメラを持ってこなかった)
あさかぜの最終列車を見送っていたらラウンジカーでNHKのカメラクルーが撮影していたので自宅に戻ってNHKニュースを見ていたら私がばっちり出ていたのでとても驚いた。
その週明けに上司が「先週、あさかぜを見送りに東京駅にいただろう?」と突っこまれたので私は苦笑いした思い出がある。
あさかぜの廃止から8年、もうそんなに経過しているんだなあ…。と感じたのれす。