あの事故から8年…。

今から8年前の2005年4月25日9時18分頃に「JR福知山線脱線事故」が発生した日である。
この事故は福知山線JR宝塚線)の宝塚駅JR東西線経由、片町線(JR学研都市線)の同志社前駅行きの快速列車が所定の時刻より約3分程度遅延しており、遅延を取り
返そうと制限速度45キロのところを速度オーバーしたためカーブを曲がり切れずに沿線横にあるマンションに衝突、死者107名(乗客106名と運転士1名)、負傷者562名を出す大惨事となってしまった。
原因は諸説あるが事故発生当時は線路上の「置き石」や自転車等の障害物が原因か?とされていたがその後の調査で列車の運転士が列車の遅延を取り返そうと制限速度ギリギリで走行していては遅延を取り戻せないということから速度オーバーしたため脱線したものとされている。
また、信号面でも大きな問題が発生した。それは列車が速度オーバーしても「ATS」(自動列車停止装置)がまったく機能しなかったことで列車の速度が落ちずにこの事故は発生したとも言える。
それに加えてJR西日本の社内での「日勤教育」がプレッシャーとなって自らのミスを取り返すべく行ったものであったが事故後はこの日勤教育が周囲から問題となった。
私は
「色々な面でお世話になったJR西日本が…。」
と思い、とても悲しくなった。
この事故の被害者達が「あの色のJR西日本の列車には乗車が出来ない」という「トラウマ」があったため事故車両であるJR西日本の「207系」の帯色が後に登場した「321系」の紺色にオレンジ色といういでたちに合わせた塗装(ステッカーを張りかえた)に変化した。
この事故を教訓に列車のダイヤにゆとりを持たせるようになり、JR西日本のすべての路線でも行われている。
この事故で亡くなられた皆様にご冥福を祈りつつ、負傷された皆様に心のケアとともにお見舞い申し上げます。