昭和は遠くになかりけり…。

今日は「昭和の日」
今年で「平成」も25年を迎えるが今年になってから「昭和」を飾ったものが消えてしまった。そこで昭和について語る。
まず鉄道では東北新幹線上越新幹線で活躍した「200系新幹線」が3月16日に引退した。
200系新幹線は1982(昭和57)年に登場、先に登場していた「0系新幹線」をベースに寒冷地を走行するため、耐寒・耐雪装備を強化し、車体の色が白い車体に緑色の帯を巻いたスタイルとなった。
この200系新幹線であるが新幹線では初めて系列がつけられた第一号であり、0系という系列は200系新幹線が登場するまで「新幹線電車」と呼ばれていたという。
山形新幹線秋田新幹線の「ミニ新幹線」の併結相手が200系新幹線が初めて使われたり、1998年に行われた「長野オリンピック」の輸送力向上のため「あさま」として200系新幹線が長野駅まで運転された。
しかし、東北新幹線の「はやぶさ」のスピードアップのために東北新幹線から撤退、上越新幹線で活躍していたが車体の老朽化により、3月16日の運転をもって引退した。
もう一つは映画「釣りバカ日誌」シリーズやドラマや舞台等で活躍した「三國連太郎」が先日14日に90歳で他界した。また一人昭和の俳優がいなくなってしまった。
三國連太郎は元々は本名である「佐藤政雄」としてデビューしたが最初にやった芝居を演じた役名がたまたま三國連太郎であったためこの芸名となったという。
その後は俳優として大活躍し、長男である「佐藤浩一」も俳優となり、親子二代で活躍していた。
三國連太郎は俳優業での力の入れ方が半端ではないとも言われ、役づくりで実際に歯を10本抜いて他の俳優仲間からも「歯を抜いたら生えてこないぞ!」と言われたが実際に抜いて周囲の度肝を抜いたというエピソードがある。
まさに俳優魂を感じる三國連太郎であったが他界した時に長男の佐藤浩一は「最後まで父(三國連太郎)は三國連太郎を演じていました」と意味深なコメントを残している。
昭和の時代がますます薄くなっている今、「昭和は遠くになかりけり…。」